TRIAL たつきの館

【TRIAL10】記録❾ 1月17日(火)
【コラムט】
日常生活を杜撰に営んでいても事務的な漢字を照合することなど容易であり、物好きが読むような本を適当に読んでさえいれば観念的な漢字を摂取する事など造作もない事である。然し古代文字としての漢字は遠方の地にある。それは古代人の風習を直に表したものであり、現代人が認識する漢字とは大きな隔たりがあるように思える。私自身は、白川静はその歪さを軌道修正したかったのだと考えている。漢字は事務的で観念的である。然し同時に各人が、古代風習の要であるといふごく当然の認識を持つ事を目指していたのだろふ。残念ながら、白川静の念頭とする漢字への想いが社会に大きく普及しているとは言い難い。私の立場としては、日々漢字を摂取して、僅かな軌道修正を行う次第である。
《α》合田&野村&藤本(照明)
藤本《照明》に関しては、どういふ効用があるのかはよくわからない。剣玉やボールといった玩具を用いて全体を構成していた。まさしく遊戯なのだが稚拙さが削ぎ落とされている。アダルトな感じもしてこない。大人がきちんと遊んだといった感じである。
《β》則本桃子
体の柔軟性そのものの話ではなくこの人の動きは内向きで堅く見えてしまふ。かといって静的でもなく動的でもないのである。また中庸な感じもしないのだ。かといって上手でもなく下手でもないのである。要するにそれが則本といふ人なのである。
《γ》フクタニヤスヒコ
この人のダンスにおける姿勢は正しいと思ふ。勿論どういふ動きをするのか、どういふ構成なのかといふのは重要である。ただこの人の動きからはなんとなく健康そうな一面が垣間見られる。何かそれだけで十分のような気がする。話はズレるが、私がヨガ女を嫌ふのはあのポジティブシンキングは見せかけであって、きわめて不健康な産物だからである。
《δ》All Performer
統制が取れていない集団といふ感じである。統制が取れていないといふのは、集団パフォーマンスの醍醐味であろふ。主題は前方だけではなく後方にもある。今回は特異的な回であって考察するには十分だったと思ふのだ。

たつき 

 1987年生まれ。大学時代に、映像専攻。近年「権力への意志」《各々の世界解釈》を基盤として、表現《アオリスト》と撮影と省察を縦横無尽に展開しようと試みている最中である。とりわけ合理的ではなく方向性を定めない。病的な《利他》《真理》を疑い健康的な《利己》と《探求》を主軸に置こふとしている最中である。