【TRIAL09】記録❽ 12月20日(火)

【コラムח】

近頃の主題は、専ら減らす事にある。といってもそんなにたいしたことは要求されない。人との接触を極力減らすとか、使用済みのゴミやプリント類を見つけ次第即座に処分するとか、不要な本を古本屋に売却するとか、その程度の話をしているのだ。「人生は一分を減省せば、便ち一分を超脱す。」(『菜根譚』)といふ格言があるが、一度に極端に減らすのではなく、日常的に徐々に減らしてゆく事が重要である。生活空間を快適なものにしたいのならば、頻度や物を極力減らそう。

 

(A)野村&合田

色彩豊かな構成になっている。背景のカラーが、出演者を神々しく演出しているのだ。適度な時間であるし、野村と合田の独立不覊のダンスといふものが伺える。今回はさして穿った見方はせず、純粋に2人とも格好が良いダンサーだと思ふ。

 

(B)たつき

今回は初歩的なアラビア語を説明するといふ内容。基礎会話、アルファベット、地名・国名の順番に紹介した。私の表現は、一般的なパフォーマーのようにお客と意思疎通を取るような様式ではない。一方的に咀嚼した内容を押し付ける形になりやすい。ただ私の表現観といふのはさういふものなのでこれはどうにもならないのだ。

 

(C)村上理恵× 菊池有里子

菊池のアコーディオンが村上の梃子となり、村上が主我に没入してゆく様式となっている。基本的に、私は当世風ダンスとその界隈が苦手である。然しそれを享受しつつ村上のダイナミズムが随所随所に現れていたと思ふ。畢竟当世風ダンスは、ダンサーが「どれだけ世界観に没入できるか?」否かといふ点に集約されると思ふのだ。無論入り込めないダンスもあり入り込めるダンスもある。それはその人のスタイルである。

 

(D)イー・アイ・オー(板倉佳奈美・高木明子・Yumi・ミウラ 1 号)

Yumiが、全精力をかけてつくった長編であった。私が見たところこれは一元論である。板倉と高木は自然の一部でありミウラの音楽が全体に息吹を注ぎ込んでゆく。Yumiがそれを包括する。まだYumiは出るか出ないのか躊躇している感が伝わる。リーダーか裏方なのかが不透明な部分は、改善の余地があると思ふ。

 

(E)全員

恐らくほとんどの人がCIの経験があるのだろう。特に何の躊躇もすることもなく、各々の特色をだしながら触れ合い何事もなく終わった。CIは多少ブランクがあっても救済の余地がある。一般的な「ライブ至上主義」とも「台本至上主義」とも違う。実に不思議な感覚を味わうことができたと思ふ。