TRIAL たつきの館

【コラムבֿֿֿֿ】私は近年尚古的なる態度が重要だと考えております。尚古的なる態度に関して福田恆存は以下のように語ります。「古典を研究の対象にしてはならない。古典は文化遺産でもなければ、単なる知識でもない。歴史は現代の生き方に対する教訓でもなければ、現代の優位についての保証でもない。古典はそれを生きて見るべきもの、体験してみるべきものであります。それを鑑として自分を矯め、それに習熟すること、それ以外に古典とのつきあひ法はなく、それ以外に古典を理解する道はないのです。」(『伝統にたいする心構』福田恆存)これが尚古です。単なる保守主義、伝統主義、郷愁主義、復古主義、革新主義、前衛主義はもう結構です。そんなものすべて亜流です。尚古的なる態度によって伝統は継承され、革新が生じ、独創的になるのです。

 「TRIAL03」記録❷ 2016年6月19日(日)

 私は撮影や観察をする。それは「一斑を見て全豹を卜す」である。未だかつて全方角から撮影をした人間はいないだろうし、眼前の対象を100%理解できた者がいるとは思えない。故に主観だろうが客観だろうがその解釈はどこか欠落していて始めて成立する。然し欠落しているだけではダメで練磨された欠落でなければならぬ。欠落を無理に修復してもその人の性質を覆い隠す絆創膏にしかならない。重要なのは微妙な認識を適宜磨く事である。

 

 α>野村&合田

(前)野村は空高く飛び、合田は海の淵に躍る。(『詩経』大雅・早麓)

(後)琴瑟相和す。(『詩経』小雅・常棣)(総)野村&合田の父がいる。野村&合田の母がいる。そして野村&合田がここにいる。(ウルトラマンタロウOP)離れたくても離れなれぬ2人の関係は相互の独立不覊の精神あっての事です。もはや琴瑟という音色は愛別離苦すら忘却させる。

 

β>村田絢加

冠婚葬祭である。村田はよゐ規矩は備えているし、努力家だと思う。されど未だその規矩が身体に染みこんでいるような印象は見受けられない。形式という三途の川を流れる土左衛門のようである。この先は長汀曲浦、村田は自らを耕し続ける精神の百姓とならざるおえない。

 

γ>狭間要一

我々は映像と布片の狭間に封殺された。我々の眼前には狭間がいる。されど映像と布片の狭間のカーテンが我々の眼前に姿を現した。狭間はエア闘牛を繰り返すことで、我々の目を布片に欺いた。こゝろのレジスタンス活動に余念がない野村と合田、村田は狭間のカーテンに忍び込んだ。合田と野村の狭間には村田がいた。村田と合田の狭間には野村がいた。野村と村田の狭間には合田がいた。気づくと我々は狭間の中に存在していた。(完)

 

たつき 

1987年生まれ。大学時代に、映像専攻。近年「権力への意志」《各々の世界解釈》を基盤として、表現《アオリスト》と撮影と省察を縦横無尽に展開しようと試みている。とりわけ合理的ではなく方向性を定めない。病的な《利他》《真理》を疑い健康的な《利己》と《探求》を主軸に置こふとしている最中である。