TRIAL たつきの館

TRIAL06 2016年9月25日(日)

 【コラムה】

ある程度精査されてきたので保守的な傾向がある、有意義な著者の紹介をしようと思ふ。私が吟味したところ、福田恆存、三島由紀夫、バーク、ゲーテ、ヒューム、ヴィーコ、トクヴィル、モンテスキュー、オルテガ、ニーチェ、アレント、リップマンあたりはとりわけ保守的であり有意義であると思われる。理性を警戒しながら、現実に対応する人々である。とりあえず好き嫌いを超えてこういふ人の著書はほどよい栄養分になるだろふと思ふのだ。

 

(α)合田&野村

光が参加制約の役割を果たしている。ましてやその光の範囲は著しく狭いのである。その光の狭さがかえって2人の動きを形成しており、自由を付与されているかのような印象がある。意外とこういふ制約を与されたほうが動くほうも楽なのだと率直に思ふのである。

 

(β)濱田陽平

濱田は軽さに重さが潜んでいる。適当に閃いたアイデアをTRIALで行うといふ姿勢がよろしい。音を自らの手で作り出し、その作り出した手によって自らを形成していく。設計主義の感じが濱田からはあまりしない。だからEXPERIMENTではなくTRIALといふ言葉が合致する人だと思ふのである。

 

(γ)合田&野村&濱田

漆黒が主役である。言い換えれば無が主役である。3人は漆黒のなかで存在を確認することはできるが、それは個としての合田、野村や濱田ではない。もはや誰でもない3人の存在が漆黒のなかで際立っている。バグったBGMが終始鳴り続けるなか、漆黒のなかで人々は踊らされ続けるのである。

たつき 

1987年生まれ。大学時代に、映像専攻。近年「権力への意志」《各々の世界解釈》を基盤として、表現《アオリスト》と撮影と省察を縦横無尽に展開しようと試みている。とりわけ合理的ではなく方向性を定めない。病的な《利他》《真理》を疑い健康的な《利己》と《探求》を主軸に置こふとしている最中である。