TRIAL たつきの館

コラムא】「愛着に関する内省」

人は長年愛用した自転車に乗る際に「君の事を愛している」と言うだろうか?私は言わないと思ふ。人は寝る際に毛布や枕に「いつも有難う」と感謝の気持ちを伝えるだろうか?私は伝えないと思ふ。人は馴染みの定食屋に行く際に「僕は君のことを幸せにするよ、だから潰れないでくれ。」と店員に嘯くだろうか?私は嘯かないと思ふ。さういふわけで私は恋愛やイデオロギーが真の愛からかけ離れたモノであることをここで宣言して、恋愛やイデオロギーを生活の糧にしている人たちが、他人を幸福にするとか、家族団結とか、社会をよゐ方向に誘うとか、世界を変革するなどと戯けた事を申しても一切信用しない事を云為します。世の中がここまで瘋癲になったのは愛を履き違えたからである。

 

『記録❶』2016年の5月29日(日)のTRIAL02に関する記録をつれづれなるままに書こうと思います。私はΛΟΓΟΣを基盤として自由気儘に書くわけですから私の主観以外の何物でもない。撮影も自由気儘に撮るわけですから類似したものと見做してくれて何ら問題はありません。気を抜いて読んでください。

 

α>合田&野村 合田と野村は一心同体である。それは超人バロム1やウルトラマンAのような意味ではない。語らずとも身体でわかる人々という意味だ。私は完全沈黙と完全饒舌の2パターンによって形成されている動物であるから合田&野村とは対極にいる人間である。然し合田&野村はほどよい融合を会場に散布させる一方であまりにも安定感がありすぎると思うのである。それは合田&野村のアルファでありオメガである。最初であり最後である。はじめであり、おわりである。(「ヨハネの黙示録」22・13)畢竟パートナーとしては合田&野村は何の問題もない。然し合田と野村を天秤にかけたら水平状態を維持し続けるだけで終焉するだろう。

 

β>松田ゆみ 松田は絶大な存在感がある人だ。間違いない。今回の松田の作風は気宇壮大な根暗世界の絶妙なる啓蒙作品ではなかったか。松田は優しい策士家である。私は松田がどの位置でどう振る舞うのかという状況予測が彼女が移動する前にある程度推測ができた。故に設計的振る舞いとしては若干あざといのだが松田の天然的な優しさがうまい具合にあざとさをカバーしていたと思われる。這般の事情により松田がTHE BEST TRIALであった。

 

γ>ミウラ一号(αとβ乱入)

1号と名乗るからには2号がいるはずだ。そうでなければみうらとかMIURAになるはずである。ミウラ一号は一見奇抜なパフォーマーであるが超がつく程普通の人である。MIURAMUSICの基幹は呪術である。「嘘も百回言えば真実になる。」が「呪いも百回唱えれば禍害ではなくなる。」それを察したのか、丁度いいタイミングで合田&野村がミウラ一号に合流した。松田は悠々自適なペースでミウラ一号&合田&野村組と吻合した。時間が進めば進むほどパフォーマーの活動範囲は徐徐に瀰漫してゆくように思えた。神はאָדָם‎を創造したがライブがミウラを創造したといっても過言ではない。海賊にとって海が日常であるのと同じようにミウラにとってライブが日常だ。

 

 

たつき 1987年生まれ 大学時代に映像と身体に関心を持つが同時に映画、演劇、コンテンポラリーダンス、TV制作、広告などには無関心となる。言葉を基軸として言語性、身体性、歴史性、自然性などが不可欠であると考えるようになった。ダンスとは距離をおきたいが身体性と関与するためにダンスと接触せざるおえない自家撞着状態である。近年は漢字が最重要であると考えている。たまにアオリストという非目的表現様式を披露する。豆運びのアオリスト「荻生徂徠」やただ横に移動する実験アオリスト「בֵּית לֶחֶם‎ 」などがある。